2016年7月の「お気持ち」のご表明以降、皇室は注目され続けてきました。
平成の時代の天皇陛下は今上天皇で、今上は『きんじょう』と読みます。
そんな今上天皇のご公務などのご足跡をまとめてみました。
今上天皇について
1989年1月7日に昭和という時代は終わりました。翌日の1月8日からは平成という年号に変わり、 皇太子明仁新王殿下が天皇に即位されたのです。
昭和天皇は戦争をまたいで1989年までご活躍されたので、戦後に即位された最初の天皇陛下が今上天皇です。
戦前の天皇は政治権力を持っていましたが、戦後は政治的な力を持たない『象徴』として日本国民をまとめる役割を担われています。
戦後の日本国憲法では天皇は『象徴』ということと『世襲』で交代することが決められています。
特に世襲については『お気持ち』のご表明のときに様々な議論がありました。
そういった様々な意味でも、今上天皇は戦後の天皇としてとても重要なお仕事をされていたのです。
今上天皇のご公務
1989年の1月に平成の天皇陛下として皇太子明仁新王殿下がご即位されて以来、天皇陛下は様々なご公務をなさってきました。
即位の記者会見
1989年の8月9日に、宮殿・石橋の間で即位後初となる記者会見が行われました。
この会見は、 天皇陛下と美智子さまが即位に関してのお話を述べられる会見でした。
記者からは昭和天皇のことなどについての質問があり、その他のさまざまな質問に答えられました。
阪神・淡路大震災の被災地訪問
1995年1月に阪神・淡路大震災が起きました。大きな揺れをそれに伴う火災などで多くの方が犠牲になってしまいました。
そんな震災の2週間後の1月31日に、 天皇陛下は被災地を訪問されて、被害に合われた方々を勇気づけました。
自然災害の被害者を訪問するのは、『象徴的行為』といって、国事行為ではないお仕事となっています。
御在位10年記念式典
1999年11月12日に『 天皇陛下御在位10年記念式典』が政府の主催で行われました。
X JAPAN(当時は解散中)のYoshikiさんが 奉祝曲『 Anniversary』を披露したことでも話題になりました。
新潟県中越地震の被災地訪問
2004年10月23日に新潟県中越地震が起きて、たくさんが方が被害にあわれました。
天皇陛下は2004年の11月6日に被災地を訪問されて、被害者の方々をねぎらいのお言葉をおかけになりました。
東日本大震災の被災地訪問
2011年3月11日の午後2時46分に、宮城県沖を震源としてマグニチュード9.0の非常に大きな地震が起き、津波などにより甚大な被害がでました。
天皇陛下は3日16日にビデオメッセージを全国民に向けて発信されて、被災者を含めた全国民に対して温かいお言葉をかけられました。
海外でのご公務
2006年にはタイ、2013年にはインドなど、海外において国際親善のご公務もなされております。
また、2005年には慰霊のためにサイパンを訪問されるなど、平和のためのご公務もやっておられます。
「お気持ち」のご表明
2016年8月8日、皇居御所・応接室にてビデオメッセージでお気持ちを表明されました。
メディアで非常に大きく取り上げられ、これからの皇室のあり方が議論されるきかっけにもなりました。
今上天皇とハゼの研究
天皇に即位される前はハゼに関する論文を執筆されていたりと、研究者としてご活躍されていました。
1966年に論文『ロウハゼの学名について』を発表されています。
1984年には 著者の1人として執筆した『日本産魚類大図鑑』が出版されます。
1985年には日本魚類学会で研究発表をされています。
このような研究が認められて、さまざまな研究機関の会員にもなられています。
まとめ
日本のため、そして世界のために、いろいろなご公務をされている天皇陛下でございますが、最後にまとめになります。
- 1989年に 皇太子明仁新王殿下が即位されて天皇陛下になる。
- 国事行為の他に被災地を訪問されて被災者を労われている。
- 海外でもご活躍されている
- 即位される前は生物学の研究者としても一面もおありになった。
皇室は日本がある限り続いていきます。