今や日本を代表するロックバンドのスピッツですが、初めからメジャーだったわけではなく、インディーズの時代もあります。
ロビンソンやチェリーなどの名曲も多く、カラオケで歌う人も多いと思いますが、インディーズ時代はどんなバンドだったんでしょう。
詳しく調べてみました。
スピッツ(spitz)というバンド
スピッツが結成されたのは1987年です。
当時大学や専門学校に通っていた4人が集まってスピッツというバンドができました。
- 草野マサムネ:ボーカル、ギター
- 三輪テツヤ:ギター
- 田村明浩:ベース
- 崎山龍男:ドラム
スピッツというのはドイツ語で『尖っている』という意味があり、草野さんが気に入ってバンド名にしたという話もあります。
新宿JAM、渋谷ラ・ママなどのライブハウスを中心に活動して、1991年にはメジャーデビューをします。
メジャーデビュー後は中々ヒットに恵まれませんでしたが、1995年にリリースしたロビンソンが初のミリオンを記録して、人気ロックバンドになります。
その後も継続的にヒット曲をリリースしています。
インディーズ時代のスピッツ
インディーズ時代のスピッツは今とは全く異なる音楽性を志向していました。
インディーズ時代のスピッツはパンクバンドだったのです。
当時のライブの様子はYouTubeで見ることができます。
草野さんがオーバーオールを着ています。なんか可愛い。
三輪さんはこの頃から個性的な髪型ですね。
昔のHeyHeyHeyで見たことがあるのですが、三輪さんは茶髪でロン毛だったためバイトが決まらなかったらしいです。
当時はブルーハーツを意識していたようで、こんなパンクな感じでやっていたんですね。
ちなみに、現在のスピッツというバンドの前は大学のサークルの仲間とザ・スピッツというバンドをやっています。
この時、草野さんがブルーハーツの『人にやさしく』を聞いて「やりたいことをやられてしまった」とやる気をなくしてしまうんです。
草野さんがやる気をなくしたことでザ・スピッツは活動休止になり、草野さんは武蔵野美術大学に編入します。
現在のスピッツが結成されるのは、草野さんが武蔵野美術大学に編入後に、田村さんにバンド結成の話を持ちかけたのが始まりです。
音楽性を変えてメジャーデビュー
パンクロックを志向していたスピッツですが、ライブハウスのマネージャーから「ブルーハーツのコピーみたいだ」と言われたことがキッカケで方向性を変えます。
草野さんはアコースティックギターを持って演奏するようになり、曲も現在のスピッツに近い感じのものになっていきます。
この頃にデビュー曲となる『ヒバリのこころ』が作られます。
そして、1991年に『ヒバリのこころ』でメジャーデビューします。
インディーズ時代から変わったところは?
草野さんの歌い方が今と違って聞こえます。
今よりも声が太いというか、今のような透明感のある感じとは少し違いますよね。
曲もそれほどハイトーンな感じがしません。
この動画以外にもインディーズ時代の動画はありますが、草野さんっていろんな歌い方ができるんだってことがわかりますね。
やっぱり草野さんの変化が面白い
インディーズ時代の映像を見てまず思うのが、草野さんが今と全然違うということです。
歌い方もそうだし、雰囲気も今とは違いますよね。
なんか、結構ムリして頑張っている感があります。
当時はガムを噛んで歌ったりもしていたようで、見かねた崎山さんが怒ったというエピソードもあります。
ロビンソンなんかを聞いた後じゃ、昔のスピッツなんか想像もできませんが、草野さんがオーバーオールでガム噛みながら歌っていた動画をみると、なんかクスッとします。
インディーズ時代のスピッツは、一人のスピッツファンとしては、かなり興味がそそられるバンドです。